思ったことを書くということ。

 思ったことを何か、何か書こうと思うが、紙に書いてもしょうがないなと思う。そういうためのノートを買った。いい感じのノート。でもほとんど使ってない。高いのを買いすぎた? うん、それもある。でも一番はあれだ。自分の字が汚いからだ。せっかく書いても、後で読み返そうという気が起きない。起きないし、もし起きることがあったとしても、読めない文字が多数あるに違いなく。だから書いてもしょうがない、と思ってしまう。


 もともとこんなに字が汚かっただろうか。いや、確かにきれいな方ではなかったけれども、一応子どものころに書道を習っていたから、しかもかなりの上段までいった気がするから、ヘタ、というわけではなかったと思う。それがなぜ、自分でも読めないほどにヘタになったのかというと、字を書かなくなったからだ。書かなくなったのは、打つようになったから。パソコン、ケータイ、スマホ。いまは紙に何か書かなくても、キーを打てば文字を配列することができる。紙と鉛筆を持ち歩く必要がない。便利な世の中だ。


 しかしながらこの「打ち文字」は何かが弱い。まず「書き文字」と違って、いつでもどこかに文字が残っているわけではないので、埋もれてしまいがちだ。何か書いてデータとして保存していても、保存したことも忘れてしまう。そして、これも実体のないデータだからだろうが、記憶に残らないのだ。頭脳へのインプット能力に欠ける、と言った方がいいだろうか。


 たとえば、仕事柄、自分が書いた文章を読み直すことがある。そうすると、パソコンのモニター上で読むのと、紙にプリントアウトして読むのとでは、頭への入り方がまったく違うのである。モニター上では気づかなかった誤字、脱字、言葉のカブリなども、紙の原稿では気づくことが多い。


 紙、その表面に圧をかけて、インクを押しつける。文字として実体を持つ。その強さを私は知っている。


 同様に、ペンを持って文字を書く、という強さも知っている。でも、文字を書く力が衰退し、打ち文字を使わざるを得ない。でも打ったところでふわふわと文字は電子情報となって浮遊するばかりで、書きたいことが定着しない。自分の記憶に残らない。


 書きたいことを書けない。言いたいことを言えない。ツールが増えたことで起こったジレンマ。だらけなのよねこの世の中は。


 と、それでも書かずにはいられない、という人間性を久しぶりに思い出したこの夜だったのでした。