何のパパ?

綾戸智絵の平均睡眠時間は、2時間くらいだそうだ。
ありえない。

私は自慢じゃないがほぼ毎日8時間睡眠だ。
それが1時間でも短いと、一日中どこか調子が悪い。
ボーっとしたり、イライラしたりしてしまう。

昨日は結局、赤ん坊の世話(の手伝い)で、綾戸智絵並の睡眠になった。
もはや廃人である。

そろそろ赤ん坊の名前を決めて、役所に届けなくてはいけない。
外国では、サミー・デイビスJr.とか、「Jr.」と名前についている人がいるが、あれは本名なのだろうか。

「サミー・デイビスの息子。」

それはそうかもしれないけど、それが名前じゃ、あんまりだ。

・・・と、いいつつも、このままでは、このボーっとした頭では、自分の名前を書いて、そのあとにお茶を濁すように「Jr.」とつけて出生届を出してしまいたくなる気持ちもよくわかる。

似たような例で考えると、「バカボンのパパ」もすごい。

バカボンという息子の父親。」

バカボンのパパの、そのまたパパは、きっとこう思ったに違いない。
「この子にはバカボンを産む人間になってほしい」

ロッキーは「イタリアの種馬」だったが、バカボンのパパは「バカボンの種馬」として生を受けたのだ。
私の生も、案外そんなものかもしれない。

この赤ん坊を産むために生まれてきた。
そう考えると、すでに天命を全うしたかのような気分になる。

自分が嫌になって、「生まれてきてすみません」と太宰治モードに入りそうなときは、「バカボンのパパ」のことを思い出すこととしよう。

で、ぼくは「何のパパ」になろうか?